はじめに
今回お話を伺ったのは、大学時代に2度、韓国へ留学したりんさん。1度目は大学3年のとき、大学を休学して釜山大学の語学学校へ半年。2度目は復学後の大学4年のとき、交換留学でソウルの梨花女子大学へ1年間留学しました。
韓国 大学留学 経験者・りんさん

今回はこの方にお話を伺いました!
- NAME名前
- りんさん
- GRADE留学当時
- 大学3年生・4年生
- DESTINATION留学先
- 釜山大学 語学学校 → 梨花女子大学(韓国)
- PERIOD留学期間
- 約1年半(釜山 約半年+ソウル 1年)
JAPANBUSAN / SEOUL
「一番好きな国に行きたい」。K-POPから始まった韓国への関心
大学3年生になり、「留学するなら大学生のうちに」と考え始めたりんさん。韓国以外の国もいろいろ検討し、オーストラリアもずっと候補に入っていたそうです。実は大学2年のころ、アメリカに1か月滞在した経験もありました。
そのときは、文化や言語に惹かれてというより「英語は大事だから」という気持ちで行ったところがあって。私の場合は、次も同じように英語圏へ、というのはあまりピンとこなかったんです。
大学では韓国語の授業も取っていたものの、ゼミは経営学。専攻とは別のところで韓国への興味を育てたのが、当時入っていたK-POPのダンスサークルでした。
ダンスの曲を聴いていると、韓国語って音がすごく可愛くてポップでいいなって。言語への関心から、一度その国に行ってみたいという興味が大きくなっていきました。一番行きたい国、自分の本当の気持ちに従って行くとしたら、韓国かなと思って。
それまで韓国を訪れたことは一度もなく、初めての韓国が、留学先の釜山だったそうです。


交換留学が中止に。休学して、自分で別ルートをつくる
りんさんがもともと目指していたのは、ソウルの大学への交換留学でした。ところがコロナ禍で、その交換留学は中止に。そこでりんさんは大学を休学し、私費で釜山大学の語学学校へ行くルートに切り替えます。
最初はソウルに交換留学しようとしていたんですけど、コロナでそれが中止になっちゃって。私費留学で釜山へ、とちょっと方向転換した感じです。
準備は簡単ではありませんでした。コロナ禍で求められる書類が通常より多く、証明書など普段は必要のない手続きが重なります。「コロナにかかったら留学そのものがなくなる」という緊張感もありました。さらに、交換留学の出願には英語のスコアも必要だったため、英語と韓国語を同時並行で勉強する時期が続きました。
その時は韓国語が本当に初心者だったので、韓国語のスコアでは間に合わないと思って、英語を使って出願しようと考えたんです。英語と韓国語を両方同時にやるのは、結構きつかったですね。

出発前に一番大きかったのは、言語への不安でした。
釜山はちょっと地方留学じゃないですか。日本人も少ないと聞いていたし、方言があるのも知っていたので、ソウルよりハードルが高いなと。韓国語を本当に頑張らなきゃ、という不安が大きかったです。
教室の外は方言の世界。釜山の語学学校で過ごした半年
釜山大学の語学学校では、文法やリスニングなど語学の授業が午前中に組まれていました。授業はソウルの言葉、いわゆる標準語で行われるため、教室の中で困ることはなかったといいます。ところが一歩外に出ると、そこは方言の町でした。

語学学校の外に出ちゃうと、みんな方言で接客されるので全然聞き取れなくて。釜山の人は話すスピードが速いことでも有名なんです。行く先々で聞き取れなくて、韓国語が怖くなっちゃった時期も実はありました。
勉強してきた言葉と、街で聞こえてくる言葉のギャップ。初めての韓国でその洗礼を受けたりんさんですが、今では「釜山の方言が好き」と笑って話します。
釜山は韓国第二の都市で、海が近く海鮮が有名な港町。りんさんいわく、方言があって独特の空気感がある点は「大阪に似ている」そう。ソウルからはKTX(韓国の高速鉄道)で3時間ほどで行ける距離です。

「来年は絶対に梨花女子大学へ」。釜山で決めていた2度目の留学
半年の釜山留学を終えたりんさんは、帰国して大学に復学。そしてもう一度、交換留学に申請します。目指したのは、最初から憧れていたソウルの梨花女子大学でした。

もともと梨花女子大学に憧れがあって、そっちがメインだったんです。それがなしになった代わりに釜山の語学学校に行ったので、釜山にいる間も「来年は絶対に梨花女子大学に行こう」というゴールに向けて動いていました。
釜山での半年は、本命の留学に向けた準備期間でもあったのです。申請は無事に通り、大学4年のときに1年間の交換留学が実現しました。りんさんの学部は国際系の授業が多く、留学する学生も多い環境でしたが、同じ年に梨花女子大学へ行ったのはりんさんともう1人の2人だけだったそうです。
方言が飛び交う港町から、授業と同じ標準語が聞こえる首都へ。同じ韓国でも、1人で2つの都市に暮らしたからこそ、街ごとの空気の違いを肌で感じられたといいます。ソウルでの住まいは、寮ではなく学校の外のアパート。留学代理店に探してもらった物件で、1年間の生活を送りました。

日本語の授業で友達づくり。みんなが本気で勉強するソウルのキャンパス
梨花女子大学で履修したのは、留学生向けの韓国語の授業と英語の授業。なかでも多く取っていたのは韓国語の授業でした。留学生だけが集まるクラスで、語学学校のような雰囲気が楽しかったといいます。
そしてもう一つ、りんさんが意識して取ったのが「日本語」の授業でした。
日本語をやりたい韓国人の子たちがいっぱい取る授業だったので、友達になりたいなと思って。日本語の敬語を一緒に勉強したりして、楽しかったです。
自分が教える側に回れる授業は、自然と会話が生まれる場所。韓国人の友達の多くは、この日本語の授業を通じてできたそうです。梨花女子大学は韓国トップの女子大学。日本語が上手な学生も多く、刺激の多い環境でした。

印象に残っているのは、周りの学生たちの勉強への姿勢です。
テスト前は、朝一限の授業に行っても、もうロビーに学生がいっぱい来ていて、みんなガリガリ勉強していて。図書館に行っても絶対に席が全部埋まっていました。
図書館では公務員試験の勉強をしている人の姿も多く見かけたそう。りんさんもテスト前やグループワークの課題がある時期は、友達とカフェに集まって一緒に勉強していました。

休日は『トッケビ』『梨泰院クラス』の撮影地へ。「好き」が詰まったソウルの1年
テスト前以外の休日は、ソウルを流れる漢江(ハンガン)沿いでピクニックをしたり、少し遠くの地域まで旅行に出かけたり。大学生のころからずっと韓国ドラマを見ていて、留学中は「超ハマっていた」というりんさんは、ドラマの撮影地をよく巡っていたそうです。『トッケビ』の海辺のシーンで知られる江陵(カンヌン)や、『梨泰院クラス』の舞台にも足を運びました。

梨泰院クラスの場所にも行きました。本当にドラマの世界でした。



ソウルの街なかで、ドラマの撮影現場に出くわしたこともあります。そこにいたのは、『スカイキャッスル』にも出演していた有名女優さん。「顔が小さくて、本当にきれいでびっくりしました」と、うれしそうに振り返ります。
K-POPも好きで、今いちばん好きなグループはBABYMONSTER。ダンスサークルで韓国語の響きに惹かれたりんさんにとって、ソウルでの1年は、好きなものに毎日囲まれて暮らす時間でもありました。
憧れだったチマチョゴリ(韓国の伝統衣装)を着て、古宮を歩いたこともあるそうです。

「パルリパルリ」の国で、ちょっとたくましくなった
1年暮らすなかで感じた文化の違いも、たくさんあります。よく知られているのが、韓国の「パルリパルリ(早く早く)」と呼ばれるスピード感です。

バスも、乗ったらすぐに席に着かないと発車しちゃうくらいテンポが速いんです。お店でのやりとりも日本よりずっとさっぱりしていて、最初はそのスピード感に驚きました。
韓国で暮らしているうちに、自分もちょっとたくましくなるというか。日本にいるときより、しっかり自分を出していく感じになりますね。
環境に合わせて自分の振る舞いが変わっていく感覚は、長く海外で暮らした人ならではのもの。日本に帰ってからも、その「たくましさ」はりんさんの中に残っているようです。
日本語のテスト勉強から始まった、同い年の親友。今は大阪でエンジニアに
留学全体を通して一番の思い出を聞くと、りんさんがすぐに挙げたのは、日本語の授業で仲良くなった韓国人の女の子のことでした。
大学4年で留学していたりんさんにとって、周りの学生は年下が多い環境。そのなかでこの友達は1年浪人していたため同い年で、一気に距離が縮まったそうです。
日本語のテストの前は一緒に会話の練習をいっぱいして、テストが終わったらご飯を食べに行って。韓国の学生生活を一緒に共有できた友達で、最後の学生生活をすごく楽しくしてくれました。ずっと思い出です。
その友達は2年ほど前に日本へ来て、今は大阪でエンジニアとして働いているそう。国を越えて続く関係は、留学がくれた何よりの財産です。
留学で身についたのは、「やりたいことを自分で実現させる力」
楽しい思い出ばかりではなく、地味に大変だったこともあります。りんさんが挙げたのは、医療まわりのこと。日本で日常的に使っていた薬を、韓国ではどこで同じようなものを買えばいいのか分からず、調べて回るのに苦労したそうです。薬局で売っているものも日本とは違い、生活の細かい部分ほど戸惑いが多かったといいます。
それでも、2度の留学を振り返ってりんさんが一番に挙げる「得たもの」は、語学力そのものではありませんでした。
留学って、準備期間が一番大変だったりするじゃないですか。特に私は、一度決まっていた交換留学が白紙になるのを経験したので、「じゃあ、どう違う方法で韓国に行けないのかな」といっぱい調べて。休学したり復学したり、手続きが大変なところを、自分のやりたいことを叶えるために調べて実現させる力が、その時についたかなと思います。
大学のプログラムに乗るだけなら、道は用意されています。でもりんさんの場合、一度その道が閉ざされ、ゼロから自分で探し直す必要がありました。コロナ禍で書類集めに手こずりながらも、休学・私費留学・復学・再申請と、一つずつ自分で手続きを進めて2度の留学を形にした経験は、今も自信の土台になっています。

「韓国が好き」で集まった人とのご縁が、今の仕事に生きている
現在りんさんは、お姉さんと一緒に会社を経営しています。代表を務めるお姉さんは、アメリカ留学を経て日本で起業した人。姉はアメリカ、妹は韓国と、それぞれが自分の選んだ国で経験を積み、今は一緒に仕事をしています。韓国関連では、昨年は翻訳・通訳の仕事を多く手がけ、今はInstagramでの発信と、日韓の女性が集まるコミュニティ「yunsul」の運営がメイン。コミュニティの中ではヨガのレッスンも行っています。
社会人になってから、「留学するなら英語圏」という世間の声に、正直つらさを感じた時期もあったといいます。それでも韓国留学だったからこそ得られたものを、りんさんはこう話します。
韓国に行ったことで、韓国に来ている世界中の留学生と出会えるんです。韓国は今、世界的に有名なので、ドイツ人やイタリア人、フランス人の留学生も多くて。仕事で海外留学エージェントの方と会ったときに「ドイツ人の友達がいます」と話を広げられたり。韓国人だけじゃなく、韓国で出会ったいろんな国の人とのご縁が、今も生きているなと感じます。

そして、韓国留学ならではの魅力として挙げたのが、集まる人たちの「熱量」でした。
韓国留学のいいなと思うところは、来ている人たちが本当に韓国の何かを大好きで来ていることなんです。熱量が高い子が多くて、その分、絆も強くなる。そこが魅力なのかなと思います。
同じものを好きな人同士だから、国籍が違ってもすぐに仲良くなれる。韓国で過ごした1年半は、りんさんに韓国語だけでなく、国を越えた人とのつながりを残してくれました。
留学を考えるあなたへ
韓国留学を考える人の多くが、「韓国語より英語を先にやるべきか」「英語圏の方がキャリアにつながるのでは」と迷います。りんさん自身もいろいろな選択肢の中で悩みました。それでも最後に選んだのは、一番好きな国でした。
大学生のときだったからこそ、本当に好きなことに挑戦できた時期だったと思うんです。私はその時、韓国に一番興味があって、一番好きな国に行けたのですごく幸せでした。本当に好きなことに挑戦して後悔したことはないので、韓国が好きだったら、ぜひ韓国留学に挑戦してほしいです。きっと人生の中で、何かに代えがたいいい機会になると思います。
一度白紙になった留学を、別のルートで実現させ、翌年には憧れの大学にも行く。その原動力になったのは、「本当に行きたい国に行く」というシンプルな気持ちでした。

取材を終えて
「一番行きたい国、自分の本当の気持ちに従って行くとしたら韓国だった」。りんさんの話を聞いていて印象的だったのは、この一点を最後までぶらさなかったことです。コロナ禍で交換留学が白紙になり、英語と韓国語を同時に勉強しなければならず、初めて降り立った釜山では方言に戸惑って韓国語が怖くなった時期もありました。それでも「韓国に行く」という目的を変えず、行き方の方を変えて道をつくり、翌年には憧れの梨花女子大学への留学を実現させています。
もう一つ心に残ったのは、留学先の選び方です。「留学するなら英語圏」という考え方が主流のなかで、キャリアにつながるか、将来役に立つかを一度脇に置き、自分の心が動く韓国を選んだ。その選択が、同い年の親友や、韓国が好きで集まった世界中の留学生との出会いにつながり、今の仕事にまで生きています。損得で選んでいたら、たぶん出会えなかった人たちです。周りが正しいと考える道ではなく、あえて自分がいちばんワクワクする道を選ぶ。そこには簡単にはまねできない強さがあり、聞き手の私自身も、大切なことを教わった取材でした。
「好きな国に行っていいのかな」と迷っているなら、周りの声より、自分がワクワクする方へ。行ってみたら、きっと新しい自分と、国を越えた友達に出会えるはずです。この記事が、その一歩を踏み出すきっかけになればうれしいです。

