はじめに
今回お話を伺ったのは、東京の大学からソウルの協定大学へ、交換留学で1学期間(約4か月)留学したユナさん。小学生の頃にTWICEやBTSに出会ってから、韓国は10年越しの夢の国でした。しかも韓国の前には、アメリカ・ボストンへの留学も経験している「2カ国留学」の実践者です。
コロナ禍で一度は弾けた夢を、高校受験・大学進学・独学の韓国語でつなぎ続けた話。国際寮のルームメイト問題を、韓国語の理由書で乗り越えた話。日本では一人行動すらしたことがなかったのに、釜山も済州島も江陵も一人旅した4か月。そして、帰国前の1週間は毎晩うるうるしていたという、韓国の「情」の話。推しから始まった留学を本気でやりきった記録として、韓国留学を夢見ている人にぜひ読んでほしいお話です。
韓国 交換留学 経験者・ユナさん
今回はこの方にお話を伺いました!
- NAME名前
- ユナさん
- GRADE留学当時
- 大学生(取材時点で3年生)
- DESTINATION留学先
- ソウルの協定大学(交換留学)
- PERIOD留学期間
- 1学期間(約4か月)
TOKYOSEOUL
小学生で出会ったK-POP。コロナで弾けた夢を、受験勉強でつなぎ直した
韓国との出会いは、小学生の頃。ちょうどTWICEやBTSが日本で大ブームになった時代でした。そこから「とにかく韓国に行ってみたい」という気持ちが生まれ、日本人の自分にとっての手段として、留学を夢見るようになります。
ずっと留学に行こうと思ってたんですけど、コロナ禍になってしまって。行きたくても行けない、夢が弾けたみたいな感じでした。だから高校受験の時は、韓国に留学するってことだけを目標に受験勉強して。やっと夢を叶えたって感じですね。本当に10年越しの夢でした。
コロナ禍の自由な時間は、そのまま韓国語の時間になりました。まず独学で始めて、それでは限界を感じて会話スクールへ。そこで初めて韓国人と話す機会を持ち、どんどんやる気になって、大学では第二言語として韓国語を選択。渡航時には、基本的なコミュニケーションが取れる状態まで仕上げていました。SNSで留学生活を発信している人たちを見て、モチベーションを保ち続けたそうです。
正規留学ではなく、「日本の大学から2カ国」。ボストンの悔しさが、韓国行きを固めた
これだけ韓国一筋なら、韓国の大学への正規留学も選べたはずです。でもユナさんは、あえて日本の大学に進学する道を選びました。
韓国だけじゃなくて、大学のうちにいろんな国に行ってみたい、住んでみたいっていう夢があって。正規留学になってしまうと、ちょっと幅が狭まってしまうなって感じたので、日本の大学に進学して、アメリカ留学してからの交換留学っていう形を選択しました。
最初の留学先はアメリカ・ボストン。ただ、こちらは時期が移民政策の強化と重なってビザが取りにくく、滞在は予定より短くなってしまいました。その悔しさが、次の決意になります。「韓国は、絶対に行こう」。そして大学の交換留学制度で、10年越しの夢の国に渡りました。
準備で大変だったのは、ビザと海外送金。「早め早めにやるのが大事」
2カ国の留学を詰め込んだぶん、韓国留学の準備期間は短くなりました。アメリカから帰国して、すぐ成人式、そしてすぐ韓国。そのしわ寄せが来たのが、手続きでした。
渡航時期がちょうど韓国の新学期で、大量の外国人が韓国に移動する時期だったんです。焦って書類をバーっと集めて、いざビザの予約を申請しようとしたら、すごい人数が待ってたりとか。あとは海外送金が、私の代から初めての試みだったらしくて、システムがうまくいかなくて大学側と手こずってしまったり。この2つが本当に大変でしたね。
振り返っての教訓はシンプルで、「もうちょっと早め早めにやることが大事」。ビザの予約は、新学期前の混雑を見込んで動く必要があります。
平日は図書館、週末はポップアップと一人旅。略語だらけの韓国語に鍛えられた
現地での生活は、メリハリがはっきりしていました。平日5日のうち3日以上は図書館にこもって勉強。授業は現地の学生と同じものに参加するので、手は抜けません。そのぶん週末は、「韓国に来たからには外に出よう」をモットーに、行きたい場所のリストを1個ずつ潰していきました。好きな韓国のファッションブランドが開く期間限定のポップアップを、SNSでチェックしては見に行く。そんな過ごし方です。
日常会話レベルで渡航した韓国語も、現地では洗礼を受けました。
韓国って略語がすごく多いんですよ。日本語よりも全然多くて、全部略すんです。カフェの注文みたいな日常のやつも全部略語で言ってくるので、「え、なんて言った?」みたいなのは結構多くて。会話しながら学んでました。
教科書の韓国語と、街で話されている韓国語は別物。それでも、授業で出会った友達、国際寮で出会った各国の留学生、そして留学前に日本で仲良くなっていた協定校からの留学生との再会。「友人にはすごく恵まれました」と振り返るほど、人のつながりはどんどん広がっていきました。
ルームメイト問題は、我慢しなくていい。韓国語の理由書を書いて、部屋を替えてもらった
一方で、国際寮では困りごともありました。寮は2人部屋。同室の希望は出せたものの人数合わせで叶わず、一緒になったのは生活習慣の大きく違うルームメイトでした。ゴミ出しや洗濯といった基本的なルールが守られず、散らかりが自分のスペースまで侵食してきて、匂いもつらい。気づけば、なるべく部屋にいないように行動するようになっていました。
私、結構異文化を認めちゃうタイプで、自分のスペースがよければもうオッケーみたいな性格なんですけど、その私でもだんだんしんどくなってきて。でも部屋を変えるのは難しいと思って普通に過ごしてたら、友人にちょろっと話した時に「いや、これは言うべきだ」って後押ししてくれて。言ったら、部屋を替えてくださったんです。
申請は簡単ではなく、理由書をすべて韓国語で書く必要がありました。それでも結果的に、対処する力も、韓国語で書く力も身についた。「今考えたら、もっと早めに言ってもよかったな」というのが、ユナさんの結論です。
日本では一人行動ゼロだったのに、釜山も済州島も江陵も、全部一人旅した
週末の行動範囲は、ソウルにとどまりませんでした。釜山、済州島、BTSの「Spring Day」やドラマ「トッケビ」の撮影地として知られる海辺の街・江陵。すべて一人旅です。でも実は、日本では一人で出かけたことすら一度もなかったといいます。
韓国に行った瞬間、ストッパーみたいなのが外れちゃって。日本にいる時は一人で行くのは恥ずかしいみたいなのがあったんですけど、結局誰もいないし、一人で行くしかないなら「まあいっか」って。限りある時間の中で、行きたい気持ちが勝ってしまって。
友人に案内してもらった大田(テジョン)では、地元の人で行列ができる老舗ベーカリー・聖心堂(ソンシムダン)に感動。ソウルからKTXで1時間半ほどの距離です。ドラマ「ソンジェ背負って走れ」の撮影地・水原にも足を運びました。そもそも交換留学自体、知り合いが誰もいない大学に一人で申請して、一人で飛行機に乗って行ったもの。「この4か月間、ずっと一人旅だったみたいな感じですね」と笑います。
「ユナは、次に後輩ができたらやるんだよ」。韓国の情に、何度も助けられた
韓国で一番心に残ったのは、人の温かさでした。韓国には「情(ジョン)」と呼ばれる、人との結びつきを大事にする文化があります。
韓国の年上の方って、年下にすごくおごってくれたり、優しくする文化があるんです。「返せないのに」って思いながら言うと、「いいよ、大丈夫だよ。ユナは次に後輩ができたらやるんだよ」って。見返りを求めない文化で、そういう情の文化にすごく惹かれました。
一人旅の途中、指定席のKTXに乗り遅れた時も、事情を説得したら「今回だけは特別に」と乗せてもらえました。留学生であり外国人であることを考慮してくれる、その柔らかさ。そして帰国の時、情はいちばん大きな形で返ってきました。
帰る時に、たくさん手紙をいただいたんです。ずっと前に「韓国の人ってなんでこんなに肌が綺麗なんだろう」って話した、本当に些細な会話を友達が覚えててくれて、「ユナがああ言ってたから」って、自分の使ってる美容品のおすすめセットをプレゼントしてくれて。手紙とそのプレゼントが、すっごく嬉しかったですね。
ホームシックには一度もならず、むしろ「永住したい」と思っていたほど。帰国前の1週間は、「寝ちゃったらあと4日、寝ちゃったらあと3日」と数えながら、毎晩うるうるしていたそうです。
韓国では、休学もフリーターも「普通」。就活と並行して、ワーホリで戻る夢を持ち続ける
帰国して感じたのは、日韓の進路文化の違いでした。
韓国って休学が普通なんです。「1年間バックパックしたいから休学したい」でも認められたり、ワーホリに行くためだけに休学したり。新卒制度がないからこそ、卒業後に普通にフリーターをするのも普通の文化で。年上の友人も今、自由に旅行してたりして、めちゃくちゃ楽しそうで。その自由な文化もすごくいいなと思いました。
日本に帰ると、周りは就活一色。そのギャップにストレスを感じながらも、ユナさんは日本の新卒制度を活かした就職活動を進めつつ、「ワーホリでもう一度韓国に戻る」という夢を手放していません。その前に、この冬はカナダへ。友人がホームステイしている家に泊めてもらい、バンクーバーとケローナを巡って、ロサンゼルスに寄って帰ってくる計画です。留学で外れたストッパーは、外れたままです。
留学を考えるあなたへ
最後に、留学を考えている人へのメッセージをお願いすると、迷いのない答えが返ってきました。
もう「挑戦しろ」って言い切りたいですね。私も本当に普通の学生で、お金の心配だったりいろいろあったんですけど、その不安って絶対にどこかで潰せるし、誰かから援助してもらえたりもする。自分のやりたいことを不安ごとで諦めてしまうのは、すごくもったいないので。やりたいと思ったなら必ず行ってほしいし、人とのつながりを大事にしてって言いたいです。
10年かけて夢を叶えた人の「挑戦しろ」には、それだけの重みがあります。
取材を終えて
ユナさんの話で印象的だったのは、夢の持ち方の「しぶとさ」です。小学生で芽生えた憧れが、コロナ禍で一度弾ける。それでも高校受験の目標に変換し、独学の韓国語でつなぎ、大学進学とボストン留学を経て、10年後に交換留学として実現する。しかも「いろんな国に住みたい」という軸から正規留学ではなく2カ国留学を設計しているあたり、夢見る力と計画する力が両方そろっている人だと感じました。
もうひとつ持ち帰ってほしいのは、4か月という期間の使い方です。平日は図書館、週末はポップアップと一人旅。ルームメイト問題は理由書を書いて解決し、帰る頃には「ずっと一人旅だったみたい」と笑えるようになっている。1学期間の交換留学は長いとは言えませんが、「やりたいことを全部やる」と決めた人には、人を変えるのに十分な長さなのだと思います。
帰国前の1週間、毎晩うるうるしながら残りの日数を数えていたという話が、この留学のすべてを物語っています。それだけの4か月を過ごせる場所に、ユナさんはきっとまた戻るはずです。就活とワーホリの間で揺れる今も、きっとその先につながる時間になるはずです。
