はじめに
今回お話を伺ったのは、大学4年の9月から半年間、オーストラリア・メルボルンにワーキングホリデーで渡ったFuminoさん。「カフェと芸術の街」と呼ばれるメルボルンで、現地のカフェを数軒掛け持ちしながら、週6〜7日働く日々を過ごしました。
高校から理系で、英語は大嫌い。留学にもワーホリにも、まったく興味がなかった人です。その背中を押したのは、大学3年のときに身内に不幸があり、気持ちが深く沈んでいたこと。「それなら、いないことが当たり前の場所に行こう」。そう決めて、宿2週間分と1か月先のフライトチケットだけを取って渡航し、印刷したレジュメを何百枚も手配りして仕事を掴み、帰る頃には「生き続けよう」と思えるようになっていました。英語日記をAIに添削してもらうユニークな勉強法から、「なんとかなる」ではなく「なんとかしに行く」というマインドの変化まで。いま沈んでいる人、お金や英語を理由に海外を諦めかけている人に、とくに読んでほしいお話です。
オーストラリア ワーキングホリデー 経験者・Fuminoさん
今回はこの方にお話を伺いました!
- NAME名前
- Fuminoさん
- 渡航当時
- 大学4年生
- 滞在先
- オーストラリア・メルボルン
- 滞在期間
- 半年(ワーキングホリデービザ)
JAPANMELBOURNE
行き先は「カフェと芸術の街」。カフェで働きたくて、メルボルンを選んだ
行き先の候補は、オーストラリアとカナダ。季節の良さでオーストラリアに決めたあとも、ケアンズ、シドニー、メルボルン、パースと、都市選びは続きました。
ケアンズはもう日本人だらけって言われたのでやめようと思って、パースはちょっと田舎なのと遠いのでやめて。最後はシドニーかメルボルンで迷ってたんですけど、メルボルンのほうがカフェ文化がすごくて、「芸術とカフェの街」「コーヒーの街」って言われてて。カフェで働きたかったので、メルボルンにしました。
メルボルンは、スターバックスのような大手チェーンよりも個人経営のカフェのほうが強い、世界有数のカフェの街。街を歩けば「日本のコンビニくらい」カフェがあり、朝はランニングをしてからコーヒーをテイクアウトして出社する人であふれます。大学時代にスターバックスでアルバイトをして、ラテアートを一人で極めていたFuminoさんにとって、「カフェくらいしか技術がなかった」という自分の武器がいちばん生きる街でした。
「いないことが当たり前の場所に行こう」。宿2週間分とフライトだけ取って、日本を出た
意外なのは、Fuminoさんがもともと留学ともワーホリとも、まったく縁のない人だったことです。高校から理系で、英語は大嫌い。「大学では一切英語を勉強したくない」というつもりで大学に入ったほどで、留学にもワーホリにも魅力を感じていませんでした。
転機は、大学3年のときでした。身内に不幸があり、就職活動と重なった日々は「ボロボロで、あまり記憶がない」ほど。それでも、生活は続いていきます。いつも通りバイトに行き、いつもと同じ電車に乗って、実家に帰る。何も変わらない毎日のなかで、気持ちだけが沈んでいきました。
自分の生活は何も変わっていないのに、この世界にその人だけがいない。それがすごくしんどくなってしまって。それなら、いないことが当たり前の場所に行こうって。日本以外のどこかに出ようと思ったんです。
とはいえ、留学のためのまとまったお金はありません。そこで、発想を切り替えました。
お金を貯めてから行くんじゃなくて、現地で稼ごうって思ったんです。そうしたらもうワーホリしかなくて。就活も終わって、単位も卒業も大丈夫ってなって、じゃあもう行こうって。もしそれで働けなかったら、実家に帰ってくればいいや、くらいの軽い気持ちで。宿2週間分と、1か月先のフライトチケットだけ取って行きました。
就職活動を終え、卒業単位も取り終えて、残っているのは卒論だけ。エージェントも、語学学校も、決まった仕事もなし。「失うものは何もない」くらいの気持ちで、出発前の不安は「ゼロでした」と言い切ります。
渡航までの1か月、日常の全部を英語にした
行くと決めてから渡航までは、約1か月。英語嫌いのまま行くわけにはいかないと、その1か月で「日本の日常のすべてを英語に」一気に切り替えました。
NetflixもYouTubeも、全部英語にして。いろいろ試したんですけど、一番良かったのは、英語の字幕と日本語の字幕がどっちも出せるサイトでYouTubeを見ることですね。それをひたすら聞いて、同じように喋って、シャドーイングして。リスニングも単語力も発音も、トータルで伸びるので。
それでも、着いた直後がいちばん英語力のない状態であることに変わりはありません。銀行口座の開設、家の内見、携帯の契約、納税の手続き。現地のオペレーターと電話で話さなければいけない場面が、容赦なく降ってきました。最初の2週間を過ごしたバックパッカーズのドミトリーでは、シャワールームの使い方が「自分の思っている清潔さと真逆」という洗礼も。それでも誰にも頼らず、ひとつずつ自分で乗り越えていきました。
ちなみに、9月のメルボルンは南半球の冬の終わり。常夏のイメージで半袖とサンダルしか持っていかず、あまりの寒さに現地で靴を買うところから、半年間は始まりました。
レジュメを何百枚も刷って、1日2〜3万歩。全部のカフェに「ハイ」と入っていった
仕事探しの方法は、驚くほどアナログでした。パソコンで作った履歴書(レジュメ)を文具店で何枚も印刷して、あとはひたすら歩いて配る。それだけです。
駅に降りたらカフェがあるので、降りて、全部のカフェに入って。「実は日本から来て、これくらいの期間働きたくて、こういうことができます。これ私のレジュメです、受け取ってください」って、ボスを呼んでもらって渡すんです。何百枚も配りました。1日2〜3万歩くらい歩いて、線路沿いに次の駅まで歩いて、また駅のカフェを回って。
メルボルンのカフェ採用には「トライアル」という試用の仕組みがあります。レジュメを見て連絡が来たら、まず1日〜数日働いてみて、お互いに合えば正式採用。日本のように書類と面接で決まるのではなく、まず店に立ってコーヒーを作って見せる世界です。スターバックスで磨いたラテアートと、1か月で詰め込んだ英語。その2つを武器に、Fuminoさんはトライアルを突破していきました。
朝8時にバーを開けて、週6〜7日。接客は「ホスピタリティ」より「会話」だった
いちばん長く働いたのは、オフィスビルの1階にある「Splash」というカフェ。日本でいえば大阪・グランフロントの1階のような立地で、朝早くからビジネスパーソンが押し寄せ、ミーティングにも使われる店です。メルボルンのカフェは朝が早く、早い日は朝8時前から店に立ち、閉店は14〜15時。朝7時半から12時までSplashで働き、そのまま15時まで別の店で働く「2軒掛け持ちの日」もありました。気づけば週6〜7日働く、ガッツリ型のワーホリ生活です。
日本のカフェとの違いは、営業時間だけではありませんでした。
日本ほどホスピタリティを求められないというか。カラコンをしてたら「目、綺麗だね」とか、そういう雑談のほうが多くて。すごいホスピタリティで接客するよりも、お客さんとのコミュニケーションを楽しむほうが強かったですね。
店員とお客さんというより、友達に近い距離感。その関係は、店の外まで続いていきました。帰国が近づいたある日、常連のお客さんから自宅に招かれたのです。その方はバレエの衣装を作る仕事をしていて、昔バレエをやっていたFuminoさんと話が弾んだ相手。自宅兼仕事場を見せてもらい、一緒に食事をして、半年間の思い出を語り合いました。
初めて会ったカフェの人が、その日のうちに歓迎会を開いてくれたりもするんです。横断歩道で隣になったお姉さんが「めっちゃ可愛いスカートだね」って話しかけてくれたり、「ふっといい匂いがするんだけど、どこの香水?」って聞いてくれたり。人との距離がすごく近いんですよね。それは日本と全然違うなって思いました。
いちばん伸びた勉強法は、「英語日記×AI添削×シャドーイング」
半年間で、英語は「爆伸び」しました。日本人の友達とまとまって過ごすのではなく、日本語を使うのは家族との電話と、日本語で近況を話すインスタのストーリーくらい。それ以外は、強制的に英語だけの環境です。そのなかで、Fuminoさんがいちばん効果を感じた勉強法がこれでした。
毎日、英語で日記を書いてたんです。「メルボルン生活◯日目」みたいな感じで。それをChatGPTに全部打ち込んで添削してもらって、直してもらった文章を何回もリスニングして、シャドーイングする。日記って日常で使う単語が多いじゃないですか。だから、個人的にはこれが一番伸びました。
犬のいるシェアハウスと、夜8時に寝る街
住まいは、メルボルン郊外・カーネギーのシェアハウスでした。家探しの条件は、ちょっとユニークです。
犬か猫がいる家に住みたくて、内見のときに確認してたんです。犬がいたので、そこに決めました。家から犬とお散歩して、海まで行ったりしてました。
同居人は30代の現地の人たち。カップルもいれば、ビジネスビザで働く人もいる、いろいろなタイプの大人たちとの共同生活です。物価の高いオーストラリアでは、現地の人でも一軒家を持てるのはそこで生まれ育った人くらいで、シェアハウス暮らしが当たり前なのだそう。
そして、メルボルンの生活は徹底的に朝型でした。カフェは朝早くから開いて昼過ぎに閉まり、ヨガやピラティスのクラスは朝7時から始まり、夜は8時には寝る人も珍しくない。週に1〜2回の休みも、丸1日ではなく夕方から友達と遊ぶスタイル。規則正しい早寝早起きの暮らしが、Fuminoさんはすっかり好きになったといいます。
誕生日のサプライズと、名前のついたゴキブリと、マグパイ
印象に残っている思い出を聞くと、2つ話してくれました。1つ目は、Splashでのクリスマスパーティー。たまたまその翌日がFuminoさんの誕生日で、みんながサプライズでバースデーソングを歌ってくれて、全員で踊った夜。半年間でいちばん嬉しかった出来事です。
2つ目は、オーストラリアの豊かすぎる生き物たち。虫が大の苦手だったFuminoさんが怖がりすぎていたら、周りの人たちはゴキブリにあだ名をつけて「ウェルカム」し始めたそうです。そんな環境で過ごすうち、気づけば虫が大丈夫になっていました。
あとはマグパイっていう、カラスみたいな鳥がいるんですよ。ランニングしてたら頭をやられました(笑)。日本の花粉注意報みたいに、「この辺はマグパイ注意」っていう地図があるくらいで。それもすごく印象に残ってます。
「あなたはベストだよ」と言われ続けた半年で、自分を大切にしようと思えるようになった
英語以外で変わったことを聞くと、まず返ってきたのは「自分の扱い方」の話でした。
自信がついたというより、自分を大切にしようって思えるようになったんです。現地の友達や職場の人たちがみんな、「あなたはベストだよ」「あなたは本当に大切な存在だよ」って、家族が言ってくれるような言葉を友達同士で普通に言ってくれるので。自分って本当に大切な存在なんだって、すごく感じることができて。
仕事でしんどかった日には、同僚が「あなたの作るコーヒーが人生でいちばん美味しいんだから、やめちゃダメだよ」と声をかけてくれる。大げさなくらいの肯定の言葉が、当たり前に飛び交う文化。日本では家族ですらなかなか口にしない言葉を、友達や同僚が毎日かけてくれる環境が、沈んでいたFuminoさんの心を、少しずつ回復させていきました。
渡航前は、気持ちがすごく沈んでいた時期だったんです。それが180度変わりました。生き続けよう、長生きしたいって、今は思っています。
「もっと早く行けばよかった」と思う一方で、あの時期だったからこそ、という思いもあります。
何も沈んでいない状態で行っていたら、挑戦を恐れたり、勉強に寄ったりしていたと思うんです。英語にも興味がなかったですし。失うものは何もない、くらいの気持ちで行ったのが、自分にはすごく良かったなと思います。
もうひとつの変化は、マインドです。
もともと「なんとかなるだろう」っていう精神ではあったんですけど、なんとかなるって思ってたことが本当になんとかなった、っていう経験をしたので。しかも、ただ生きてればなんとかなるんじゃなくて、「なんとかしに行く」っていうのをすごく学びました。
社会人になった今、その経験は仕事に直結しています。マネジメントをするなかで、メンバーがハードルの高い目標を口にしたとき、「絶対いけるよ」と心から信じられる。現地で自分が肯定され続けた経験と、「できるかな」と思ったことができてしまった経験が、人を信じる力になっているのです。
後悔は「お金」と「オフ」。ワーホリは、仕事を失う怖さと隣り合わせ
一方で、「もっとこうすればよかった」ということも率直に話してくれました。1つは、もう少しお金を貯めて行けばよかったこと。もう1つは、オフの時間をもっと充実させればよかったことです。シドニーやケアンズには日本から来た友達と行けたものの、タスマニアやニュージーランドには行けずじまいでした。
ワーホリって、日本人がすごく多くて就職難なんですよ。仕事が見つからない日本人もいっぱいいる、みたいな状況で。私は運良くラテアートができて、基礎的な英語ができると思ってもらえて雇ってもらえたんですけど、「ちょっと長く旅行に行ってきます」って言ったら、戻ってきたときに居場所がないかもしれない。だから、お休みの自由はちょっと言い出しにくかったですね。
「働かせてください」とお願いして掴んだ仕事だからこそ、休みの交渉はしづらい。週6〜7日働く生活は、本人の性格だけでなく、ワーホリの立場の弱さとも隣り合わせでした。「もっとオーストラリアを楽しめばよかったな、と今は思います」。これからワーホリに行く人には、働く場所を確保する大変さと、オフを楽しむ余裕。その両方を設計してほしいというのが、経験者としての本音です。
留学を考えるあなたへ
最後に、海外への挑戦を考えている人へのメッセージをお願いしました。
海外に行くなら、お金とか時間とか、何かを天秤にかけることがほとんどだと思うんです。でも、天秤のこっち側にどんなものがあったとしても、行ったほうがいい。行っちゃえばなんとかなるし、人生でいちばん濃い半年間だったと言っても過言ではないと思っているので。迷って考えてる人は、考える前に行ったらいいと思います。
お金では買えない経験とか、一生心に残り続ける思い出とか、そういう財産が得られます。それくらい濃い経験ができるから、ぜひ行ってほしいです。ワーホリなら、お金も貯められるので。
「お金がないから行けない」と壁を作るのではなく、行ける方法を探して、実際に行ってしまう。英語嫌いの理系が半年で手に入れたものの大きさが、その言葉の説得力になっています。
取材を終えて
Fuminoさんの話でいちばん驚いたのは、準備の「軽さ」と行動の「重さ」のギャップです。持っていったのは宿2週間分と1か月先のフライトだけ。なのに現地では、レジュメを何百枚も刷って1日2〜3万歩歩き、トライアルを突破して、週6〜7日店に立ち続ける。身軽に飛び込んで、着いてから誰よりも動く。「なんとかしに行く」という言葉の意味を、行動そのもので見せてもらった取材でした。
英語日記をAIに添削してもらってシャドーイングする勉強法も、ぜひ持ち帰ってほしいポイントです。英語が大嫌いだった理系の人が、渡航前のたった1か月と現地での工夫で「爆伸び」と言えるところまで行った。語学力は留学の前提条件ではなく、行くと決めてから作れるものなのだと思わされます。
そして何より、沈んだ気持ちを抱えて日本を出た人が、「あなたはベストだよ」と言われ続けた半年を経て、「生き続けよう、長生きしたい」と言えるようになって帰ってきたこと。その経験はいま、自分を大切にする力と、人を信じる力に変わって、仕事のマネジメントにまで生きています。ワーホリの半年は、キャリアの空白どころか、その後の生き方の土台になり得る。カフェの香りがするFuminoさんの半年間が、いま迷っている誰かの、そして沈んでいる誰かの背中を、そっと押してくれるはずです。
